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  • 2008/09/08(月) 19:26:16

てをあらいましょう☆

  • 2007/01/29(月) 01:34:57

OH〜!!

トイレのノブをにぎるのは、他人のモノをにぎるのと同じ。





ってことは家のトイレのノブは父の・・・orz

長距離ランナーの孤独

  • 2007/01/27(土) 22:49:49

Hi!最近ジョギング始めました。
Hi!
Hi!
Ha
Ha
Hi!

のっけから変なテンションですみません。
ストレス解消のために走ってるんですが、この様子だと上手くストレスが解消されているようですね。よかった。


故障で半年以上走れていなかったので、完全に運動不足な私のカラダ。
なのでランナーズハイが毎回訪れて、これがまた気持ちいいんだ。
絶品です。
絶頂です。
絶交です!
知るか!


でもランナーズハイって自分の体力の限界を超えたところに訪れるらしく、
そこに行き着くまでが大変にくるしい。
そしてジョギングって大変に孤独。
すぐに歩いてしまいそうになる自分と常に戦うことになります。
体力不足による苦しさは次第になくなっていくだろうから、
最大の課題は孤独克服です。



ここで私のとっておきの孤独解消法をひとつ。


ご覧になってる坊ちゃん嬢ちゃんちびるんじゃありませんよ。
なめたらいかんぜよ。
沿道に応援の人を並べて、名前入りの旗も持たせて声援を送らせる妄想だとか、規則的に並ぶ街灯がある道を走り、後ろからやってきては追い抜かしていく自分の影と競争するだとか、
そんなのはとうの昔にやり尽くしてるんです。
いまや影と談笑できるほど仲良くなったし、
給水所でのドリンクの取り方だって上手くなった。

それを踏まえたうえでのこれです。
最終奥義。


その奥義とは、

「両腕を前につき出して、そのまま両手で握手。」



こうすると、誰かと手をつないでいるような錯覚がうまれます。
もうさみしくはありません。
応援の声も、仲良しの影もみえなくなった場所にある精神の限界を、私はこれで乗り切っています。


コツは左手の手のひらは外向き、右手は内向きにすること。
より他人の手っぽく感じられるでしょう。
左手で右手を引っ張れば、誰かに手を引かれて走っているような気分にもなります。


もちろん走ってるときだけではなく寂しいとき全般に応用できるでしょう。



「人類の最大の敵は、他でもない孤独である」とエライ人は言いました。
だけどこのアイデアで最早人類に敵なしだ。
人類の穏やかな未来に乾杯。

みほん

モスバーガーの由来

  • 2007/01/13(土) 15:16:03

友達が「モスバーガーってなんでモスって言うか知ってる〜?」
って聞くから知らんって答えたら、
「Mountain、Ocean、Seaの頭文字でMOSやで。」って得意げに言ってた。



山海海ってどんだけ海プッシュやねん。


本当の意味:http://www.mos.co.jp/faq/other/#01

続・トイレで読むトイレの為の小説

  • 2006/12/18(月) 22:36:06

はてさて、先の記事では私のトイレ嫌いから起こった悲劇を書いたが
今回は何故、私がトイレを嫌うのかということについて述べようと思う。


私が公衆ベンジョを忌み嫌う理由は、ニオイである。
他人の発する個人的なニオイ全般が苦手なのだ。
トイレというのは大なり小なり、ニオイのするもの。

そして私は行列に並ぶのが苦手だ。
しかしどうしても並ばねばならぬときもある。それがトイレ。

この二つが重なりあうところがズバリトイレ行列なのである。



トイレ行列では、他人の出てきたトイレに間髪いれず入らねばならない。
それがトイレ行列における唯一にして最大のルールである。

そしてどこからともなく「下に〜、下に〜」という声が聞こえてくると
皆いっせいに地面にひれ伏しこうべを擦り付け、
行列が通り過ぎるのをおびえながらひたすら待つ。
うっかり行列を横切ろうものなら即座に刀を持った侍たちに取り囲まれるのだ。


家来A「大名行列を横切ろうなぞ無礼千万!」
家来B「殿様の名を知っての狼藉か!!」

私「い、いえ・・考え事をしておりましたけっして悪気はありませんどうかおゆるしを!」

家来C「たわけたことを抜かすな!切り捨てご免!」
私「ひぃぃぃぃーーーーーー」

殿「むむ。なにごとじゃ。」(籠の中から顔を出す)
家来B「はっ。狼藉者がトイレ大名行列を横切ろうとしたのでございます。」
殿「うむ。その狼藉者というのはこやつか」
家来B「左様でございます」

殿「おお、そなた。ワシに何か用事か」
私「い、いえ。かかか考えごとをしながら歩いておりまして・・・どうかお許しを」
殿「大名行列に気付かぬほどの考えごととな。よほどのことに違いあるまい。
どれ、ひとつワシに話してみよ。
その前に、おぬしはトイレは鍵を閉める派か?それとも開けっ放しでする派か?」
私「は・・・?」
家来A「殿様がトイレ開放派か密室派かと聞いておろうが!」
私「じれったい じれったい
そんなのどうでも 関係ないわ」

家来B「なにぃーーーーー!!?」
殿「ワシは開放派じゃがの」
私「早熟なのは しかたないけど
似たようなこと 誰でもしているのよ」

家来A「・・・」
家来C「・・・・」
私「特別じゃない どこにもいるわ
ワ・タ・シ 少女A」



という展開は ない


トイレ行列とは便意を我慢している者たちが構成するシンプルなラインフォーメーションである。前にいるものほど、より我慢している。


そのラインの向かう先にあるのが使用直後のトイレ。
他人の生温かい残り香がこもるあの暗く湿った狭い個室だ。

果てしない我慢の末にあるのは桃源郷ではなく地獄。
これは刑か拷問か。



――ということを親友と私、女二人で話していて、同じ感覚を持ち合わせていた人間がごく身近にいたことにびっくりし、互いに喜んでいたのだけれど、突然相手が「でも貴方の後だったらすぐに入ってもイヤじゃない。というか流さなくても平気。」とのたまった。まったくもって青天の霹靂である。「それぐらい近い存在に思っている」のだそうだ。


一体どんな告白だ。一瞬、いまのもしかしてちょっとロマンティック?今田はナウロマンティック?などと思ってしまったがいかんせんそんな訳はあるまい。その親友が、絶世の美女であろうとも、いや読者の期待を裏切って悪いが彼女はそんじょそこらの女優に負けない、まぎれもない絶世の美女なのである。が、もちろん直後にトイレに入るのはイヤだ。入られるのもイヤだ。顔関係ない。水を流させて。

なにが「私も」だ!
全然話が違うではないか。

私は非常にフン慨している。

                 〜TO BE CONTINUED  

トイレで読むトイレの為の小説

  • 2006/12/12(火) 01:40:45

小さい頃公衆ベンジョが大嫌いで、小学校のトイレを一度も使わなかった。


毎日毎日尿意をこらえながら授業を受ける。給食を喉の奥に押し込み、掃除の時間をしのげばどうにか帰りの会だ。冷たい椅子の上で時計の針と私の精神力がせめぎあう。人知れず火花を散らす孤独な戦い。尿意を巡る一進一退の攻防。私以外の世界中の人間がもう駄目だと諦めかけたそのとき、天から赦しの終業チャイムが鳴り響く。

私はそれを聞くや否やダッシュで家へと向かう。走る。走る。慣れ親しんだ我が家のトイレで用を足すために。走る。走る。なるべく膀胱に振動を与えぬように。

そんな毎日を繰り返したおかげか、ついには学年で一番早く走れるまでになった。
齢、十一。小学五年生のことである。



しかし小学生にも人付き合いというものがある。
そうそう毎日ひとりで帰るわけにも行かぬ。
私は人当たりのいい人間を演じ、たびたび同級生の寄り道に付き合うようになった。周りにトイレを我慢していることを悟られぬよう、彼らのペースにあわせてゆっくり歩く。ああ半日溜められ続けた私の小さな小さな貯水池。ダムはいつ決壊してもおかしくない状態だ。もちろん顔に出してもいけない。我慢の男、一之倉聡。スッポンディフェンス。Dのスペシャリスト。輝かしい山王の8番。
全国でも有名な私の忍耐力はこのようにして培われた。



いつだったか、雨の日。
自宅の屋根が見えた瞬間、ふっと緊張の糸が解け垂れ流してしまったことがあった。膀胱にためこんでいた半日分の尿は留まることを知らない。しかたがないので流しながら歩いた。


あのときのおしっこは 
 雨にうまく隠れただろうか。
  並んで歩いたよっちゃんは気が付いていただろうか。


                           第一部 完